訳ありコンビ
 無事、アジトの前に着陸すると、シルバは手馴れた様子でリューグの背中に括られた袋を下ろす作業を始める。
 普段ならそれを手伝うユートだが、アンゲルの体液を被っている今回は遠巻きに眺めるだけだった。下手に近づきでもしたら、今にも舐めかからんと目を爛々と輝かせているリューグを喜ばせるだけである。
 これ以上おろし金で舐められたくなかったユートはアジトの玄関に設置したテラスから、シルバの邪魔にならないよう大人しくその様子を眺めていた。
 全ての袋を下ろし終えた後、シルバは袋の一つをリューグにくわえさせ、頭を軽く――シルバが出来る限りの軽さで――叩いた。それを合図に、リューグは翼を広げ空高く浮かぶ。そして尾を軽く二回振り、闇の中へ消えていった。アジトの近くにあるリューグの巣へ帰っていたのだ。
 その様子をボーっと眺めていたユートだが、リューグが完全に遠ざかったと確認すると、テラスからシルバがいる所まで移動した。
 シルバがユートにも持てるよう用意してあった身の丈よりも二周りほど小さい袋を持つと、シルバと一緒にアジトの裏にある氷室の洞窟まで運んでいく。それをもう一往復繰り返してから、袋を持ち直して氷室へ向かおうとしたが、シルバに肩を掴まれ前に進むことが出来なかった。
 不思議そうな表情で振り返ると、シルバは眉を顰めてじっと見つめてくる。その意味を捉えることの出来ないユートは見つめ返すことしか出来ない。
 何故止めたのかを理解していなさそうな目を見て、シルバは溜め息を吐いて口を開く。
「……その格好で氷室へ行く気か? 俺はある程度の寒さなら平気だが、お前じゃ凍えて風邪を引くのがオチだぞ」
「……一応、ハンターやってるから身体は鍛えられてるつもりなんだけど」
「ハンターとしての筋力と、寒さに対するものじゃ全然違う。身体を鍛えているから、風邪を引かないなんて事はない。元研究者なんだから分かるだろ、それくらい」
「分からない元研究者で悪かったね。それに、研究者と言えども十人十色。分野が違うの分野が」
 シルバがしたのと同じように分かってないな、といった溜め息を吐いて持っていた袋を下ろす。その態度に眉が微かに動いたシルバだったが、ここで言い返しても無駄な時間を過ごすだけなので、流して氷室へ向かう。
 風邪引くなよー、というのんびりとした声を背中で聞きながら、その言葉をそっくり返したいと思った。言ったところで聞き流されるのがオチかもしれないが。
 氷室の中は皮膚に刺すような痛みを与えるほどの寒さだった。シルバが軽く息を吐くと、瞬時に真っ白なもやとなり周りの闇に混ざっていく。
 明かりが一切なく暗闇が占める中、シルバは明るい昼と同じ歩き方で奥へと進んでいく。一分も掛からぬ内に最奥へ着くと、ユートが床につけた番号を調べ、一番大きな数字の所へ袋を置いた。この番号で一番古いアンゲルの残骸や、家畜の肉塊を判別していた。リューグの様子を見るに、少々痛んでいても構わず食べているのだが、流石にそれが原因で体調が悪くでもなったら治療できないかもしれないという不安があったからだ。
 それに、自分たちの食料もそこに置いてあるので、食材の鮮度を知るには一番手っ取り早い方法でもあった。シルバの鼻を持ってすれば簡単に分かるだろうが、ユートはそれを拒絶し、凍える真冬の時期にわざわざ数字を書き記しだのだった。何故、それをわざわざ真冬にやったのかは謎である。シルバも謎に思っていたりはするが、そのことを問い質そうというつもりはない。
 残りの袋を氷室に置くため外へ出ると、ユートの姿はなかった。袋の上に小さな紙切れが乗っておりそこには、気持ち悪さの限界がきたからシャワー浴びる、と書いてあった。そういえばユートはまだ体液などを落としていなかったことを思い出す。自分の定期診断は忘れたことはないのに、不快以外にももしかすると身体の不調が現れるかもしれないアンゲルの体液を落とすことは、なぜか綺麗に忘れるようだ。

 さっさと袋を氷室へ運び、アジトへ戻る。ユートの気配を探ると、彼はまだシャワー室に居るようだった。
 自分の気配は隠さずにシャワー室へ近づくと水音が響いて聞こえる。それに紛れて、何かの呟き声が聞きとることが出来る。それは、別に被せなくてもいいのに……や、うわ、水で落ちないじゃん、といった愚痴だった。
 とりあえず愚痴は無視し、大剣の手入れをするために布切れを濡らしていると、後ろから熱気が襲い掛かった。
 不快に感じる湿度のある熱気を浴びながらも、振り返ることはしない。後ろに立っている人物の気配は大変良く知っている者の気配であるし、その気配からは殺気などは一切感じることは無かった。
 ハンター家業をしている割には妙に白い手が後ろから伸ばされ、洗面台の隣にあるバスタオルを掴む。回りのことなど一切気にせず豪快に拭く癖があるユートは、勿論シルバのことなど一切考えず水を飛ばす。慣れた様子のシルバは文句を言うことなく、自室から持ってきていた布切れを濡らす作業を続けた。
 シルバが持ってきた全ての布切れを濡らし終えて狭い脱衣所から出ようとしたとき、ユートが遠慮がちに声をかけてきた。その声音に困却を感じ取ったため後ろを振り返る。
「あのさ、シルバ……僕の部屋から、服、持ってきてくれない?」
「……忘れたのか」
「うん。うっかりさっぱりと。それに、部屋の中を汚したくないし……」
 確かに汚したくないのは分かるが、下着すらも用意しなかったのは如何なものだろうか。
 しかし、ユートの忘れ癖は今に始まったことではない。くどいようだが、定期診断は忘れないのに他のことになると忘れやすい。全くもってタチが悪い癖だ。今に始まったことではないが、少々改善してくれると嬉しいが無理だろう。
 バスタオル一枚の姿で放置するわけにもいかないため、さっさと服と下着を取ってくる。面倒そうに渡すと、ユートは笑顔でお礼を言って服を着始めた。その様子を見て、何故か脳内に「平和」の文字が浮かんだのだった。

 自室に戻ったシルバは、鞘に収めた大剣を取り出し手入れを始める。
 汗でべたついた身体は不快以外の何物でもなかったが、アンゲルの体液を軽く拭き取っただけの大剣を放置するのはいただけなかった。
 アンゲルの表面を覆う粘液には金属の腐食を早める効果があり、放置をしてしまうと金属の寿命が早くきてしまう。早めに手入れをしておけば、それだけ長く手に馴染んだ得物を使い続けることが出来るし、狩っている最中に得物が折れるという心配も無い。危険な可能性は早々に取り除いておくのがいい方法だ。
 一般生活の知識はまだ乏しいところがあるが、アンゲルとの戦闘やそれに関する知識は専門家以上である。得物の手入れの仕方は手馴れたものだった。
 手早く手入れを入れ終わった大剣を光にかざしたり、軽く振って状態を確かめる。
 ガードが自分の足型でへこんでいるが、酷い状態ではないので流す。直したいのは山々だが、まず第一に材料が足りない上、ここのアジトでは火力が足りない。ブレードの刃毀はこぼれは無いが、曇りが少々気になる。寝る前に砥石で研いでおこう。グリップ部分は、シルバの力に耐え切れなかったのか、換えて十日ほどだというのに、もう革が擦り切れてきている。まだ革はあっただろうか、シルバは記憶を手繰り寄せる。しかし、思い出すことが出来なかったため、夕食後に革を探そうと決めた。
 それ以外には特に無し。我が儘を言うのならば、鞘として使用している革を換えたい。幾ら手入れをしても、鞘の中に微量ながら残っているアンゲルの体液がブレードに触れれば、しっかり研いだ所でまた曇ったり腐食が進むだけだ。だが、火の車状態で鞘を買い換える余裕はあるだろうか。自分が知りうる限りの家計状況を思い浮かべる。少々苦しいかもしれないが、何とか買ってもらえるだろう。
 ――食費を減らそうと言われない(言わせない)ようにして頼むか。
 一番手っ取り早く貯蓄できる方法をとられないように、と注意しながら、シルバは勝手に持ってきたユートの得物の手入れを始める。
 予想通りというか何というか、やはり適切な手入れは全くといっていいほどされていなかった。よく暴発しなかったな、と思えるほどの手入れのされなさだ。
 本当に何故忘れやすいのだろうか。定期診断にも使われる医療ポッドの整備は一日に二回もやる時があるというのに、得物の手入れは一月に一回あればいい方。下手をすると三ヶ月も放置しっぱなしのときがある。
 新品に近い状態へするべく、妥協の無い手入れをしながらも、シルバは妙な切なさを感じられずにはいられなかった。
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