呪われた首飾り
 自分で歩こうともせず引き摺られ、そしてしゃがみこんだままのソーマを見て、フランチェスカは短く準備して、とだけ言って奥へ引っ込んでいった。
 不思議そうな表情をしてフランチェスカが引っ込んだ奥を見つめているとジルドが、

「……依頼者の所へ行く」
「……え? 今から行くのか? もう数時間で夜になるのにか?」
「依頼者から、準備が出来次第、至急来て欲しい、と手紙に書かれてあったそうだ」
「……そういや、手紙を見せてもらった時、最後まで読んでなかった」
「……俺はこの準備が出来次第、馬車を手配する。ソーマはどうするんだ?」

 無表情のまま問われ、ソーマは思わず困惑した表情をする。
 数年、一緒に行動をしたりしているジルドと違い、ソーマはこのようなことは初めてだった。なので、どのような準備をすれば良いのか、 自分は何をすれば良いのか、さっぱり分からない。
 困惑した表情を浮かべたままで居るソーマに、ジルドは準備する物を教える――などという親切めいたことは一切せずに、黙々と自分の準備を進める。 そして全ての仕度が済んだ後、ソーマを一度も見ることなく店から出て行った。

――ソーマ。あんたは自分の服を用意したあと、薬師の所へ行って、念のために止血剤などを貰ってきて」

 いつの間にか準備を終えたらしいフランチェスカが、旅行などで使われるかなり大きめの鞄をゆっくりと床に置きながら言った。鞄が床に触れるとき、 かすかにガラスとガラスが触れる音が聞こえる。その鞄には多分、薬品などが詰まったガラス瓶などが入っているのだろう。
 眉根に皺を寄せ、眉尻を下げたままのソーマは、珍しくフランチェスカの言葉に一切返事を返さずにいる。じっとそれを見つめ続けているソーマに、

「早くして。ジルドは馬車を手配するのが早いから。置いていかれたくないんでしょう? だったら、早く」
「……あ、ああ。はい、分かった――姐さん」

 急き立てるようにして、ソーマを立たせたのだった。



 一時間もしないうちにジルドは辻馬車を手配し、荷物を積み込み終えてしまっていた。今は、ソーマが薬師の所から薬を貰って入り口へ来るのを待っているところだ。
 職人通りでは、いつ貴族の依頼が来ても構わないように辻馬車を専門に扱っている区画が数箇所ある。だが、フランチェスカの店からはどの区画の辻馬車にも遠いため (フランチェスカの店がある区画は土地がとても安く、主に店ではなく倉庫や作業場などに用いられる場所である。フランチェスカはそれを承知で、そこに店を構えている)、 人の足では辻馬車へ行くのにおよそ二十分(複雑な区画のため、目的の所へ行くのだけに時間が掛かる)。車を職人通りの入り口へ寄越しそこへ荷物を運び終えるのにおよそ 一時間。
 通常全ての準備を終えるのに、一時間以上かかるのが普通なのだが、ジルドが手配をすると一時間かからずに全ての準備が終わってしまう。流石は、実体を得た魅魔、 といったところだ。
 壁に寄りかかって懐中時計を見ていたフランチェスカだったが、誰かに呼ばれたような気がして顔を上げる。すると、通りの遠くから男が手を振りながら走って 向かってきていた。

「姐さぁーん! 薬、色々と貰ってきましたぁー!」
「……別に止血剤だけで構わないのよ?」
「いやー、俺もそう言ったんスけど、なんかそれ以外に持ってけーって」
「……『裏』は?」
――薬の宣伝をして欲しいそうっス」
「……たいした傷以外は止血剤だけでいいわ」
「了解っス」

 二人が乗り込むと、馬車はすぐに動き出した。
 ジルドはすでに乗り込んでいて、何やら紙の束を黙々と読んでいる。ソーマはその様子に嫌そうな表情をしたが、隣にフランチェスカが座っているため、すぐに嬉しそうな 表情になった。だが、五分ともせずに沈黙することも居ることも耐えられず、フランチェスカに色々と質問をした。

――姐さんっ! 呪いの首飾りについては分かったんスけど! 今回は誰がその首飾りを着けたんスか!?」
「着けた?――依頼主と首飾りを着けた人の関係を知りたいの?」
「そうっス」
「……父と娘」
「えーっと……名前、は?」 「父がアンブロージョ・フェルミ、娘は――そういえば、手紙に書かれていなかったわね。『娘』としか書かれてなかったわ」 「そ、そっスか……えーと、父が依頼主で――娘が首飾りを着けちまった……人、でいいんスよね?」
「そうよ」
「そうよ、って――首飾りが出来た環境と同じっスか?」
「ええ。だから余計に大変なんでしょう。娘の様子がおかしくて」

 それが当然、とでも言いたげな態度のフランチェスカに、ソーマは口を大きく開けたまま固まった。もし、首飾りを贈った理由も同じならば――魅魔にとっても、魅魔に 魅入られた人間にとっても、それはとても危険な状況だ。
 魅魔は、自分が生まれた状況であればあるほど、顕著にその姿を現す傾向にある。そして、魅魔としての強さもまた然り。
 首飾りを贈った理由が「結婚を前にした娘へのプレゼント」だとしたら、首飾りに憑いている魅魔の強さ――今回の場合、呪いの力――も通常よりもはるかに強力なものと なる。つまり、娘がいつ「自分の血で首飾りを染めて死んでもおかしくない」状況にあるのだ。
 このような状況ならば、普通は少しでも焦るものなのだろうが、フランチェスカもジルドも全く焦っている様子は無かった。そのことにソーマはとても驚いたのだ。

「……姐さん、もう少し焦りましょうよ。その娘っての、いつ死んでもおかしくないじゃないっスか」
「は? 死なないわよ。そうそうすぐに死ぬようなものじゃないもの、その首飾りは」
「……え? え、だって、呪いの首飾りは、身に着けた人間が血を流しながら死んでいく、っていう代物なんスよね?」
「ええ。だから、すぐには死なないんじゃない」
「?」

 フランチェスカの言っている意図がよく掴めず、ソーマは眉をひそめた。

「首飾りを着けて死んだ人間には、ある共通項があるの。それさえしなければ、娘が死ぬことはまずないわ。特に今回の場合は」
「……ある共通項? 何スか、それ?」
「ある共通項っていうのはね――大勢の人たちの前で着けなければいいのよ。ただそれだけ」
「大勢の前で着けない……依頼主は、そのことを知ってるんスか?」
「既に教えてあるわよ。だから、焦る必要もなし。娘を殺したい人間以外、みすみす死なすようなことをやらせる訳無いでしょ?」
「まあ……確かにその通りっスけど……」
「だから良いのよ」

 そうきっぱり断言すると、フランチェスカは腕を組んで目を瞑った。
 ソーマが小さい声で話しかけたり肩を突付いたりしたが、身じろぎをすることもせず、やがて小さな寝息が聞こえた。
 まだまだ聞きたいことがあったのだが、眠ってしまったのならば聞くことは出来ない。起こそうと思えば起こせるだろうが、あまり眠っていないことを知っているソーマは、 それだけははばかられた。
 特にやることもなく馬車に揺られ続けていたが、ふと視線をジルドの方へ向けると、紙束を読み終えたらしく、足元に置いてある鞄へ仕舞っているところだった。
 唯一ちゃんと会話が出来るフランチェスカは眠ってしまったし、依頼主の所への道程みちのりはまだ半分以上も残っており、これから暫くの間沈黙で居るのは、 ソーマにとっては耐えがたい苦痛であった。元来、賑やか好きの喋り好きである彼にとっては、これ以上ない苦痛に近い。
 五分ほどしてフランチェスカが起きれば、まだ耐えられないことはないのだが、本当に五分ほどして起きるという保証はない。寧ろ、ここ最近ちゃんと眠っていないの だから、依頼主の家へ着くまで眠っている確率のほうが高い。
 これから自分はどうしようかと数分ほど逡巡した後、ジルドに話しかけるより眠った方が時間の無駄ではないと判断したソーマは、腕を組んで座りなおし眠る体勢をとった のだった。
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