呪われた首飾り
「
――起きろ。着いた」
「
――んあ? つい……え?」
「屋敷に着いた。起きろ」
感情を一切込められていない声を聞いて、ソーマの頭は覚醒した。
目の前に無表情のジルドの顔が間近にあり、悲鳴とも呻きとも分からぬ声を上げそうになる。
隣を見るとフランチェスカの姿はなく、既に馬車から降りた後らしい。中に残されているのは、ジルドとソーマの二人きりだった。
「……降りるから退け」
「………………」
「……反応の一つでも返せよ……」
無言のまま馬車を降りるジルドの背を見ながら、ソーマは小さく呟く。だが、ジルドはその言葉にも反応することはなく、ソーマの視界から消えた。
ため息を吐いた後、馬車から降りると、フランチェスカとジルドは馬車から既に降ろした荷物を持とうとしているところだった。ジルドは幾つもの荷物を肩に担ぎ、
背にも大きい荷物を背負っている。フランチェスカはジルドが持ってきた大きい箱を持っている。
ジルドは魅魔としての期間が長かったせいか、力をコントロールすることを苦手としていた。日常生活をする上でこのことは致命的とも取れるが、大量にある荷物を運ぶ
にはうってつけでもある。そのことを考えて、フランチェスカは敢えて力のコントロールをすることを強制させなかった。
ソーマは魅魔でいた期間が短かったので、力なども人並みにしかない。本当ならば、自分もジルドのように幾つもの荷物を一遍に運んでフランチェスカの役に立ちたいの
だが、そんなことをすれば荷物に潰されるのが目に見えている。
今のところ自分が役に立てる状況を見出せていないソーマは、そういうところでジルドに対して嫉妬などの感情を持っていた。
「ソーマ、自分の荷物は持った?」
「
――んあ? あ、はい、持ったっスけど……」
「じゃ、行くわよ」
無駄な時間を使いたくないフランチェスカは短く言うと、屋敷へ向かって歩き始めた。ジルドもそのすぐ後ろを歩いていく。
置いていかれたくないソーマは慌ててその後を追った。
馬車はどうやら敷地内に入って、屋敷のすぐ近くまで三人を運んだらしかった。そんなことをしても良いのかとソーマは思いフランチェスカに訊くと、どうやら主人からの
要望だったらしい。専属の馬車でないにも拘らず敷地内に入れたということは、相当依頼主は切羽詰っているようだった。
すぐ屋敷の玄関にたどり着き、立派でいかにも重厚そうなドアノッカーを鳴らす。
間をおかず扉が開いて、中から沈痛そうな面持ちを浮かべた初老の男性が姿を現した。フランチェスカの姿を見るや、一瞬驚きの表情を浮かべたが、
沈痛そうな面持ちに戻ると深々と礼をした。
フランチェスカが一言、御息女様のご様子は? と訊くと、
「娘は
――部屋に。首飾りを外すよう何度も言ったのだが、どうしてもそれだけは拒むようで
――」
「分かりました。詳しくは中で聞いてもよろしいでしょうか? このまま玄関口に居ると、色々とご迷惑になるでしょうから
――」
暗に、妙な噂を立てられるだろうから中に入れろ、という意味に気づいたのか、男性はもう一度深々と礼をするとフランチェスカらを中へ招き入れた。
大きい屋敷に対して、人の気配は殆ど感じられなかった。そのことに違和感を感じていたソーマだったが、その様子に気づいた男性が今は家族と執事以外、皆出払っている、と言ったので納得した。
応接間へ通されると、既に来客への対応準備を終えた執事が現れた。
執事は恭(うやうや)しく一礼をすると、フランチェスカらに荷物はそこへ置くようにと言った。フランチェスカが自分自身で運ぶものとそうでない物を分けて置き、それらを執事に伝えると、執事はまた一礼をして三人を座るよう進めた。
「旦那様。私は荷物をお部屋へ運んで参ります」
「ああ
――大切に、扱うように」
「かしこまりました。何かありましたら、すぐにお呼び下さい」
短く会話をすると、執事は荷物を持って応接間を去った。どうやら使用人は本当に一人も居らず、執事が全てをこなしているようだった。
フランチェスカに脇腹を軽く突付かれ、ソーマは初老の男性
――依頼主である館の主人へ身体を向けた。
「
――今、使用人たちには来週行うパーティーの準備をさせているんです」
「……それは手紙に書いてありましたね。パーティーまでに、魅魔をどうにかして欲しい、と
――」
「そうです。パーティーまでに何とかしなければ
――」
「そのことについては手紙に書いてあったので知っています。そのパーティーは誰を主役としたパーティーなのですか?」
「……娘の誕生パーティーです。そしてその時に、ポワズの首飾りを身に着けた娘を見せたいのです」
「
――ご息女様に死ね、と。これはまた薄情な親ですね。今まで首飾りを着けたものの末路を知っているだろうに、みすみす血を流して死ねと仰るだなんて」
「そんなことはない! 私は娘を愛している! やっと授かった私の娘なのだ! その娘に首飾りを贈って何が悪い!」
両の拳をローテーブルを叩きつける。テーブルの上に載った上品なティーカップが小さく音を立てた。
いつもは依頼主の神経を逆撫でにするようなことを言わないフランチェスカに、ソーマは驚きに目を
瞠りながら顔を窺い見る。
フランチェスカは腕を組み尊大な態度をとったまま、じっと依頼主のことを見つめていた。そして、隠しもせずに溜め息を吐いた後、口を開いた。
「別に自分の娘に美術品や骨董品を贈ることは構いませんよ。愛らしい自分の娘ですから。プレゼントの一つでもしたくなるでしょう。
――でもね。自分の娘をステータスか
何かにすること、私は一番嫌いなんですよ」
「なっ! ステータスだと
――」
「事実、ステータスでしょう? ポワズの装身具は未だに人気ですからね。それはもう、どの貴族も欲しがる代物でしょう。独創的なデザインは最早、芸術と言っても良い程
のものですから」
「そうだろう、そうだろう! 私も、手に入れるのにどれほど苦労をしたか
――」
「それでその
コッラーナをご息女様に着けてお披露目ですか? 私はこんなに入手困難なものを娘にやれるんですよ、というご自慢ですか?」
「ち、違う! 私はそう意味で贈った訳では
――」
「では何故、『
フェスタまでに』なんていう期限を設けるのですか? 純粋に娘を愛して贈ったのならば、そのままフェスタでは別のものを着けさせれば良いでしょう?
ああ、ご息女様が外すことを嫌がる、なんてのは理由にはなりませんよ。ご息女様に、当日は違うものを着けていい、って仰ってみて下さい。喜んで当日は着けないでしょ
うから」
私たちのことは気にせず、今からご息女様へ仰って下さい、さあ、とフランチェスカは応接間の出入り口の方を手で指す。その言葉には、若干の怒りが込められていた。
何度も進めてくるフランチェスカに、主人は始めこそは怒りを
露にしていたが、段々とそれは弱弱しくなり
終いには泣きそうな顔になった。そして一言
、済まない、と謝ると眼鏡を外して両目に指を押し当てた。
その様子にフランチェスカは鼻を鳴らすと、席を立った。ジルドも席を立ち、ソーマも慌てて席を立つ。
席を立ったことに驚いた主人は、フランチェスカの許へ寄り、
「娘には当日、首飾りを着けなくていいと言う! だから、だから頼む! どうか、この依頼を引き受けて下さい! この通りだ! 礼ならば何でもする! 頼む!
いや、お願いします!」
と、乞わんばかりの態度で言った。このまま放置をすれば、フランチェスカに縋りつかんばかりの勢いだ。
フランチェスカは暫しの間その様子を眺めていたが、主人と同じ視線の高さにまでしゃがむと小さく微笑んだ。滅多に見られない微笑に、主人ではなくソーマが驚きの表情
を浮かべる。
主人に立って下さい、と言った後、こう続けた。
「私たちをご息女様の所へ案内して頂けますか? ご息女様の様子を知りたいので」