呪われた首飾り
「わたくしが完成されたとき、お父さまは大変喜びましたわ。マリエーヌが結婚する前に間に合ったと、仕事が終わったときよりも喜んでおりました。わたくしも嬉しかった
ですわ。お父さまの喜ぶ姿を見れましたし、マリエーヌの幸せを願ってましたの。でも
――でも、あんなことが起きなければ……っ!」
「
――『あの』事件ね?」
「……ええ。あの男の姿は、今でも焼きついてますわ。マリエーヌが悲鳴を上げて、わたくしを必死に庇って……でも、あの男は、下卑(げひ)た
笑みを浮かべてマリエーヌを……マリエーヌを
――!!」
「もういいわ。もう、そこは話さなくて……いいわ」
「……ありがとうございます……お姉さま。
――マリエーヌが殺されて、お父さまは全てを放棄しましたわ。仕事をすることもせず、食べることも
せず、日々を抜け殻のように生きてゆきました。わたくしは箱に仕舞われ、次に明かりを見たときには、既にお父さまも夫人も亡くなってましたわ」
「仕舞われている間は、何も分からなかったのね?」
「魅魔とはいえ、本体にとり憑いているようなものですから、本体が仕舞われてしまうと外のことは全く分からないですわ。ですから、お父さまが亡くなったことを知った
ときも、わたくしはお父さまの家にはおらず、親戚らしき者の手に渡っておりました」
小さく微笑を浮かべると、リトアは口を噤(つぐ)み紅茶を一口、口にした。その微笑からは創作者との別れ、残された者の悲しみが含まれていることをフランチェスカは理解している。
フランチェスカも紅茶を一口啜ると、似たような微笑を浮かべた。創作者との別れの辛さは分からないが、残された者の悲しみ、辛さは分かる。奥底に仕舞われていたその
感情がよみがえり、何とも謂(い)い難い心情に見舞われた。
「
――ごめんなさい、お姉さま。お辛いお気持ちを思い出させてしまって」
「いいえ、気にしなくていいわ。全てのものに訪れることなんだから」
「そう、ですわね……誰にでも、訪れることですわね」
「だから気にしなくていいわ。そんなことよりも今は、あなたのことが一番大事だから」
「……続き、お話しいたしますわ。お姉さま」
一旦間を置き、口を開く。
その表情には、愁いを込められた微笑も、悲しみを帯びた瞳も綺麗に消え去って、毅然たる表情だった。
「確か、お父さまが亡くなったところまでお話しましたよね? あの後、お姉さまもご存知だと思いますが、わたくしはある貴婦人のもとへいきました。ご主人さまからの
贈りものとして」
「ええ、そのことは知っているわ。そして、そこでの『出来事』が原因であなたが『呪われた首飾り』と呼ばれるようになったことも」
フランチェスカの言葉に、リトアは深く頷く。だが、その表情には若干の曇りが見られた。
「……お姉さまはもしかすると、わたくしがみなを殺したと思っているのかもしれません。でも、それは違いますわ。わたくしは、あんなことを望んだりはしておりません
もの。ただ、ただ私のほんの少しの想いが、ご主人さまのお母さまに触れてしまい、あんなことになってしまいました」
「それはどういうことかしら?」
「貴婦人のもとへ贈られたときから、その家の『不協和音』には気づいておりました。お父さまのところと明らかに違ってましたわ。わたくしが感じるには、貴婦人は
ご主人さまのお母さまに疎まれている『ふし』がありましたわ。なぜ、疎まれているのか最初は分からなかったのですけれど、しばらくしてその意味が分かりましたの。
貴婦人は、わたくしがくる前から、ほかの男性と関係を持っておりましたから」
「
――つまり、夫人が他の男と関係を持っているということを、主の母親は知っていたということなのね?」
「そうですわ。少し前にわたくし、わたくしのほんの少しの想いがご主人さまのお母さまに触れた、と言いましたわね?」
「ええ、確かにそう言ったわ」
「あの惨劇が起こってしまった原因は……わたくしが元のお父さまのところへ帰りたい想いと、ご主人さまのお母さまが『元の』家族に戻りたい思いとが混ざり合ってしまっ
たのが原因なのですわ。そしてお母さまは
――いわゆる、気が触れたような状態になってしまいました。まだわたくしが魅魔として未熟だったため、わたくしの想い全てがお母さまへ流れ
てしまい、お母さまの精神などが壊れてしまいましたの」
頭を少し垂れながら言うその姿は、何もかもを背負い込んでここまできてしまったように、フランチェスカには見えた。悲しみも、嫉妬も、憤りも、そして
――身に着けた
者が死んでいく様と、身に着けた者を殺す時の殺人者の顔も
――。
この魅魔が世に生まれ五十余年。もしそれが人間だったのなら長生きな老人だっただろう。だが、魅魔としては五十余年はまだまだ若い方に入る。長いものになると、ジル
ドのように二百余年以上も存在する魅魔も居るのだ。
そしてまだまだ若い魅魔にとって、自分を所持する全ての者が死んでいくとしたら、どれほどの苦痛や悲しみに襲われていることだろう。自分の存在に疑問を感じ得ないこ
となどないのだ。
「
――私には、あなたの辛さや苦しみをあなたと同じに感じることは出来ない。でも、理解は出来るわ。そしてその理解から、あなたの苦しみなどを感じ取ることも出来る」
「……とても珍しいお方ですわ、お姉さまは。先代以前の魅魔払いでしたら、わたくしのお話などを一切聞かず、すぐに消し去ってしまうでしょうに」
「先代
――いえ、母が言っていたのよ。『魅魔が全ての元凶にあらず。また、全ての原因にあらず。全ての元凶、原因は人間の欲にあり』って」
「わたくしたち魅魔は、誰かの想いを受けなければ生まれることのできない存在ですわ。だから魅『魔』。
――でも、今はこの状況を怨んだりはしていませんの。お姉さまに会えましたから」
「そう言ってもらえて嬉しいわ。それじゃあ、続きを聞かせて頂けないかしら?」
「ええ。そろそろ話を終わりにしないと、お姉さまのつごうもありますわよね。
――ご主人さまの奥さま、つまり貴婦人が他の男性と関係を持っていることを知っていたのは
、ご主人さま以外ぜんいんでしたわ。ご主人さまは貴婦人がそんなことをしているなど、つゆにも思っておりませんでした」
「あの事件が起きた、決定的な出来事は何だったの?」
「決定的な出来事は二つありますわ。一つは、お母さまが現場を目撃してしまったこと。そしてもう一つは、わたくしが貴婦人のある言葉を聞いてしまい、それに呼応して
しまったお母さまの精神が壊れてしまったこと、ですわ」
「二つ目の出来事のことを詳しく話してくれないかしら?」
「貴婦人は、わたくしのこと自体はとても気に入っておりました。やはり、お父さまの最高傑作である首飾り
――それも、ラ ブロッシュ(ブローチ)を主に作っていたお父さまに
とって、首飾り自体とても珍しいものでしたから」
ポワズの作品の多くはブローチが殆どで、耳飾り、首飾りなどの装身具は殆ど作られては居なかった。仮に作ったとしても、ポワズ自身が満足にいく物ではなかったらしく
、その殆どを自らの手で壊し続けていったという。
現在残っているものは『呪われた首飾り』を含め、たった数点しかない。今もなお人気の衰えないポワズの作品は、複製品が数多く存在していた。
「気に入ってはおりましたけど、唯一つ、ご主人さまから贈られたということについてだけは、気に入ってはおりませんでした」
「そう、誰かに言ったの?」
フランチェスカがそう尋ねると、リトアは顔を微かに顰めた。フランチェスカに話しているうちに、段々と当時の感情が蘇ってきたようだった。
「あの人は、関係を持っていた男にこう言いました。『これを贈ってくれたのが、あんな愚図じゃなく、あなただったらもっとこの首飾りが素敵に見えるのに』と。あの人は
ご主人さまがどういう想いで贈ったのか全く理解していなかったのですわ。わたくし、ご主人さまが殺されたことについては、とてもとても悲しくて辛いけど、あの人が殺さ
れたことについては、全く何も思っていませんの。何一つ」