呪われた首飾り
 そう言った少女の顔には、平然とした表情や清々しさを感じた表情は一切なく、泣くのを堪えているような表情だった。
 虚勢を張っていることを分かっているフランチェスカは何も言葉を発さず、ただただリトアを見つめる。リトアは別に慰めや同情の言葉を欲しているわけではない、そう理解しているからであった。
 しばしの間、リトアは自分を落ち着かせるため、感情を抑えるために目を瞑り深呼吸を繰り返していたが、やがて落ち着きを取り戻すとまた話に戻ったのだった。

「わたくしにはどうしても、その言葉が許せなかったのですわ。その後、わたくしが意図してやったのではないのにも係わらず、ご主人さまのお母さまと精神が同調して しまい、そして――あの、惨劇が起こりましたの」
「意図せずの同調――魅魔が生まれて初期の頃に起こることね。意図せず同調してしまい、その時に人間の精神に入り込む術(すべ)を学習する」

 フランチェスカは一人ごちに呟くと、何度か小さく頷いた。フランチェスカの中で全てが繋がったようだった。
 蛇足だが、意図せずの同調の結果、気が触れてしまうのはひどく稀な場合であり、大抵の場合は通常の魅魔が乗っ取ったときと同じく、少々言動がおかしくなる程度であ る。気が触れてしまう場合は、魅魔の力などが強すぎた、同調した人間の精神状態が非常に不安定だった場合の二つであることが多い。この母の場合、その二つが運悪く 重なってしまったことが原因である。

「全てを話してくれてありがとう。『呪われた』だなんて言われ続けて、とても辛かったと思うわ」
「いいえ、わたくしはこうしてお姉さまに会えただけで十分ですわ。わたくしの方こそ、お礼をしたいくらいですわ」

 そう言って席を立ち、テーブルの横に立つとスカートの両端を少しつまんで足を少し折った。貴族の女性などがよく行う挨拶の仕方だった。フランチェスカも同じく席を 立つと、胸に手を当てて小さくお辞儀をした。こちらは貴族の紳士などがよく行う挨拶の仕方だった。
 お互いに微笑みあっていると、やおらフランチェスカは真剣な表情へ変え、

「これから私は仕事を行わなければならないわ。依頼を受けたからには、全てを終わらせなければならないの」
「ええ、分かっておりますわ。わたくしは魅魔。お姉さまは魅魔祓い。お姉さまにはお姉さまのお仕事がありますわ」
「始めに言ったとおり、私はあなたを消すつもりは毛頭ない。先代と同じように、あなたに私と契約をするようにお願いするわ。あなたに『実体』を与える代わりに、私の手伝いをして欲しいのよ」
「わたくしに……『ジッタイ』を?」

 フランチェスカのことを信用していなかったという訳ではなかったのだが、少なからず消される確率があると考えていたリトアにとって、その申し出は青天の霹靂であった。
 魅魔祓いとの契約内容は有名で、契約をし肉体に近い『実体』を手に入れたいと考える魅魔も居れば、人間の下僕と成り下がるのは御免だとそれを拒絶し嫌悪している魅魔 、それら二つとは全く違い、ただ作品に宿り続けたい魅魔もいる。
 リトアがどの考えを持っているかまだ分かっていないフランチェスカは、動揺したままのリトアに背を向け、扉のノブに手をかけた。

「返事は明後日でいいわ。それまで、じっくり考えておいて。私はこれから依頼主の所へ行って、これからのことを話さなければならないから」
「これからの……こと?」
「そう、これからのことよ。――でもね、そんなことは言っても、あなたの考えが決まるまでは、私は手も足も出ない状態だけど。あなたのことを消さないってこと以外は、 何一つ決まってないから」

 肩を竦めて呆れ気味な笑みを浮かべるフランチェスカに、リトアは呆然と見つめることしか出来なかった。
 もう一度、焦らなくていいからじっくり考えておいて、と言うと扉を開け、少女――マリレーナの部屋から出て行った。



 急に扉が開き、へばりつくようにして扉に彫られた飾り彫りを見つめていたソーマは避けることが出来ず、鈍い音を響かせた。まさか扉に誰かがへばりついているとは 思ってもいなかったフランチェスカは眉をひそめる。鼻をしたたかに打ったソーマは鼻を押さえうずくまり、そのようすに依頼主は少し慌てるような素振りを見せ た。だが、フランチェスカが、扉に張り付いている者が悪い、と依頼主に言い、自業自得だと暗に言われたことで、ソーマは小さく大丈夫っす、と依頼主に言って立ち上がった。
 ジルドは扉が開くことに気づいていたが、他人に関心は持っていないため教えることはない。もとより、何かを 教えるということ自体がジルドの中には無かった。
 何故、ソーマが扉にへばりついていたかというと、最初は依頼主と会話を弾ませていたのだが、会話の内容が予定しているパーティーの具体的な内容や、自分が興した会社の話など、 段々とソーマが興味を持つような話でなくなってきたからだった。この男は会話は好きだが、自分が興味のない会話だと殆ど会話をしなくなる傾向がある。 例外はフランチェスカと会話をする時で、例え全く興味のない話でも率先して会話を進めていた。
 会話が完全に逸れたと分かると依頼主との会話もそこそこに、自分が興味のある扉の飾り彫りを忘れないよう、丹念に一彫り一彫りを見て触れていたのだった。別にへばり つかずとも触れるだけでその彫り方や造形などは分かるのだが、自分の契約者マスターと魅魔との会話内容が気に なったという下心も少なからずあった。
 ソーマという男は、元来の喋り好きで、また自分の持つ好奇心にはとても従順だった。
 本来、魅魔と契約者は繋がっている。契約者の見聞きしたことを知ろうと思えば、契約した魅魔は契約者の目と耳を通して今現在、契約者が何をしているのか分かるのだ。 契約者から魅魔が今現在、見聞きしていることを知ることは出来ないが、その代わりに今どの魅魔が自分の中から見聞きしているのかを感じ取ることが出来た。ソーマもそれ をやれば良いのだが、過去に風呂に入っているフランチェスカの視覚を覗き見ようとした経歴があった。そのことを感じ取ったフランチェスカは、以後その力を自分に使うなと命令したのだ。 故にソーマは扉にへばりつき、中の様子を窺い知ろうとしたのだった。
 ジルドが扉が開くことに気づいていたのは、その力でフランチェスカの視界を把握し、視線がドアノブに注がれていたのを見たからだった。

「……会話は聞き取れなかったでしょう?」
「……全く聞こえませんでした。姐さん」
「ご主人、これからのことについて話したいことがあります。何処かへ移動しましょう」
「あ、ああ。だったら、先ほどの応接間へ」
「分かりました。ジルド、ソーマ、行くわよ」
「はい、姐さん」
「………………」

 依頼主の後を歩き始めたフランチェスカに促され、ソーマは慌てて、ジルドは無表情のまま後を追った。
前へ目次次へ