呪われた首飾り
 フランチェスカが扉を開けると、今度は何も当たることなくスムーズに開けることが出来た。
 ソーマはどうやら前回のことを学習していたのか、扉から離れたところに座って、自分が丹精込めて模写した紙束を整理しているようだった。
 大人しく整理を続けるソーマにフランチェスカは近づくと、じっとその項を見つめ続ける。
 最初はその無言の威圧に堪えていたソーマだったが、フランチェスカの視線に耐えられなかったのか、もしくはフランチェスカの周囲から発される怒りの気配に耐えられなかったのか、立ち上がり向き合った瞬間に土下座をかましたのだった。
「別に悪気も悪戯心も無かったんスよ、姐さん! ただ、姐さんのことが心配な一心で――
「一心で私の聴覚に触れたの? あんたは」
「いや、聴覚だけっスよ! 俺が借りたのは! 視覚は触れてもいない――
「当たり前でしょ。過去にあんたがやったことで、私が使用禁止を言い渡したはずよ。聴覚だって、下手したら消えてたわよ、あんた」
「それは頭の中では分かってたんスけど、あのリトアとかいう女、何となく信用できないというか――
「今の状態だと、あんたの方が余程信用できないわよ。――で、信用できるようになったの?」
 ソーマの発言を最後まで言わせることなく、フランチェスカは自分の言いたいことを言う。最後に溜め息交じりで尋ねるが、ソーマからの返答はかなり濁したものだった。
 会話を最初から最後まで盗み聞いていたのに、全くと言ってよい程にリトアを信用できなかったようだ。ここまで不信感がくるとなれば、もしかするとリトアに対してもジルドと同じ苦手意識か何かを持っているのかもしれない。
 そう考えてしまうと、フランチェスカの中でソーマに対して持つイメージと印象は、飼い主だけには忠実な犬。それも他人に対して警戒心などを持つのは当たり前で、下手をしなくとも飼い主の家族や友人など、身近な人物にも警戒心を剥き出しにし決して懐くことはない、酷く凝り固まった意思を持つ犬のように見えた。
 魅魔にもそれぞれ性格があり、人間のそれと同じことで簡単には性格を変えることなどは出来ない。ジルドがそのいい例で、フランチェスカと出会った当初からずっとあのような無感情で機械めいた男だ。
 フランチェスカの考えでは、魅魔にもそれぞれ性格があるのは当たり前。長所もあれば短所もあるが、だからといって短所を消すのは良くない、という考えの持ち主である。
 そう考えてソーマの性格についても特に何も言わなかった。だが、その考えはソーマに関してのみ改めた方が良いのかもしれない。
 甘やかすだけが教育ではないのだ。時には叱るということも必要なのである。
 次に同じ事を仕出かしたら、何かしらの制限をしようとフランチェスカが考えていると、ソーマが真剣な面持ちで何かを考えていることに気が付いた。
 何とはなしに見つめていると、ソーマは自分に送られている視線に気が付いたのか、フランチェスカの目をしっかりと捕らえたまま口を開く。
――姐さんは、何であの薬を説明するとき、あいつを試すようなことをしたんスか? 俺には、姐さんこそあいつを信用していないように見えるんスけど」
 その声音はソーマにしては珍しく、真剣そのものだった。いつものおちゃらけた雰囲気は一つも出ていない。
「私はあの子のことを信用しているわ。ソーマの言うとおり、私はあの子を試したけど、別に信用していないからじゃない。一つの判断材料よ」
「判断材料? 何の判断っスか?」
 特に判断する事象が見当たらないソーマにとって、判断材料という言葉にピンとこなかった。この場にジルドがいれば、フランチェスカの言わんとすることが分かるのかもしれないが、ソーマには元からジルドに頼るという選択肢は無い。
 仕方なく自分がフランチェスカと契約をするまでのことを思い返してみるが、フランチェスカに何かを試されたようなことは無かった。
「あんたの時は、特に試さなきゃいけないような事が起きてないから、何もやってないわよ。ただあんたを喋りたいだけ喋らせて、満足したところで魅入った人から引き剥がしたでしょう」
「そうっスよね。俺は姐さんから、何も、試されてないっスよね?」
 フランチェスカから見透かされたような返答を受け、何故か少々残念そうに呟く。
 しかし、こうなってしまうと全くの謎になってしまった。ソーマ自身に試されるようなことがないのに、何故リトアには試さなければならないのか。
 同じ魅魔なのだから、特に試すようなことは無いようにソーマは感じた。もしかすると、絵画に憑く魅魔と装身具に憑く魅魔とでは何かが違うのかもしれないが、それでも試さなければならない理由にはならない。
 答えの無い謎賭けを解いているような感じがして、首をひねって考えていると、
「ソーマが魅魔になった経過は、創作者の気持ちだけでしょう? 第三者の気持ちは殆どあんたには干渉していない」
「……そう言えばそうっスね。俺はベルの気持ちを受けて『生まれて』その後はクリスだけっスからね」
「つまり、ソーマの場合は創作者ベルとその妻クリスからのみ干渉を受けた。はっきり言うと、創作者だけの場合は魅魔は酷く大人しく、また攻撃的な力は持ってないのよ」
「あー、だから俺はジルドより弱いんスね?」
「ジルドは例外よ。ジルドを基準にしていたら、既に私は殺されてるわ」
 まるで、それが当たり前、とでもいうような口調でフランカは言う。
 聞く人によっては小馬鹿にされたような口調でもあり、ソーマは怒りを露にした――様子は全く無く、寧ろ感心したかのように何度も頷くだけであった。ソーマはフランチェスカを妄信しているため、馬鹿にされたなどの感情が一切生まれることは無い。そのため、フランチェスカが皮肉を言っても気づくことは無かった。
 ソーマは何度も頷いていたが、フランチェスカがこの場から去ろうとしているのを見やると、慌てて模写した紙束を集めて腰巾着の如くフランチェスカの後に続く。
 フランチェスカから、何故試したのかを全て聞いていないのを思い出したのだ。
 しかし、早足で歩くフランチェスカの様子を見て、中々話しかけるタイミングを見つけられず、黙ってついて行くしかない。結局、何故試したのかを尋ねられたときには、既にフランチェスカの部屋の前に着いてからだった。
「試した理由――? 言わなかった?」
「いえ、全く一言も聞いてないっス。俺、姐さんの言ったことは全て覚えてるんスから」
「そう……試した理由は、破壊衝動がどれほどまであるか、考えるということを出来るかどうか、よ」
「……姐さん、全くと言っていいほど分からないっス」
 理解できない自分が不甲斐ないと感じるソーマは、落ち込んだ様子で自己申告する。しかしフランチェスカは、そう、と言うだけで説明を続けた。今の一言でソーマが理解するとは考えていないようだった。
「人が持つマイナスの感情――例えば、嫉妬や憎悪、妄執などがそれに当たるわね。そんな感情を浴び続けてしまうと、魅魔の精神構造も酷く曲がったものになるのよ。子供に対する接し方と一緒じゃないかしら?」
「いや、俺は子供なんて持ったことないっスから……姐さんは分かるんスか?」
「分かるわけないでしょう。子供なんて私も持ってないもの」
「そ、そっスね……」
――それはともかくとして。マイナス感情を受けて育った魅魔は、本能的――と言うのもおかしいかもしれないけど、衝動的な性格になりやすいのよ。攻撃的になったり、自分の考えや感情、欲望に酷く従順なものに、ね」
「つまりそれって、コイツなんか居なくなれー、てな考えを持ったとしたら、その本能や欲望に従う魅魔は――
「間違いなく、居なくなれと思った対象を殺すなり壊すなりして、自分の目の前から消し去るでしょうね。考える、なんてことが出来なくなっていくから」
 殺すという言葉を聞き、ソーマは思わず生唾を嚥下した。
 もしも、リトアという魅魔が本能なり欲望に対して素直な性格で、フランチェスカが邪魔な存在だったとしたら――初めて会ったときにフランチェスカは既に殺されていたのかもしれなかったのだ。
 額に薄っすらと浮かぶ汗を拭い、フランチェスカを見やるが、フランチェスカは普段と変わらぬ無表情だった。
 この女性に恐怖という感情はあるのだろうか? そんな疑問がソーマの中で渦巻くが、それを言葉にして口に出そうとはしなかった。
「偶然などが重なって、あの子はあんな謂れをされるようになったけど……強い子ね。考えや性格が歪んでいないわ。ダイヤと同じ、透明なこころを持っている」
「……そっスか? 俺は何となくあいつは信用できないっス。ダイヤのカットと同じく、いろんな性格を持っていそうで」
「単純なものじゃないわよ、性格なんてのは。人と接するときだって、皆に同じ対応はしないでしょう? 例えば、あんたが私とジルドに接するときの態度の違いとか」
「姐さんだけは特別です。姐さんにだったら、何でも開きます」
「ああそう」
 ソーマに理解させるのを早々に諦めたフランチェスカは適当な返事をし、部屋の中に引っ込んだ。まだ話したりなかったソーマは話をしようとしつこくノックをしたが、大きな衝撃音と共に扉が酷く振動したのを見取り諦める。
 両手に抱えた紙束を弄りながら扉の前で待っていても、フランチェスカが入った扉は開かれることはなく、また扉で聞き耳を立ててみるものの何も音は聞こえてこない。当分の間、フランチェスカが出てきそうには無いと判断したソーマは肩を落としながら隣の部屋へ引っ込んだのだった。
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