呪われた首飾り
 誕生日パーティー前々日。
 扉の彫刻を写し終えたソーマと特にやることの無いジルドは、パーティーの準備を手伝っていた。人外並みの腕力を持つジルドは庭で荷物運びを、人並みの力しか持っていないものの手先が器用なソーマは会場で部屋の飾り付けをしていた。
 フランチェスカはこの日、魅魔リトアと会話をせず、会場内を丹念に見て回っている。
 最初は真面目に手伝っていたソーマだったが、やはりマスターであるフランチェスカのことが気になるらしく、飾り付けをする手はあまり動いていない。真剣な表情で中を見回るフランチェスカを見て、自分の欲を優先して話しかけるべきか、邪魔になるから話しかけざるべきか、ソーマは真剣に悩んだ。
 悩み抜いて、一度は話しかけないと決めたものの自分の欲には勝てることが出来ず、笑顔で話しかけようと飾りつける手を止めたとき、フランチェスカの方から話しかけてきた。
「ねえ、ソーマ。この会場……どう思う?」
「ど、どう思うって……どういう意味っスか?」
「この中の雰囲気や、周りの様子とか。あんたはどう感じてる?」
「感じてる……うーん……」
 声をかけられたことに動揺しつつも、ソーマは質問に答えようと会場内や窓から見える外の景色を見回した。
 会場内はソーマが飾り付けをしたためか、ただの白く圧迫感のある部屋が色鮮やかな明るい内装になっていた。鮮やかにとはいいながらも、白を基調に淡いピンクや黄色など少女が好みそうな色を使ったことによって、目が痛くなるようなものや、落ち着かない雰囲気を醸し出すことはない。ソーマの力作と言っても良いほどの出来栄えだった。
 窓から見える庭は、手入れが良く行き届いていることが遠目からでも分かる。太く大きな樹が生えているのだがそれにも枝の剪定がされており、その樹をメインに絵を描きたい、とソーマが感じるほどだ。
 しかし、そんな素晴らしい会場と庭ではあるのだが、ソーマは全く違うものを感じ取っていた。明るく、綺麗なのにも係わらず、
「なーんか……『暗い』というか、『重い』というか……あんまいい感じじゃないっスね」
――やっぱりね。ガス灯や最近上流階級に普及し始めた室内灯を使っているのにも係わらず、この部屋は妙に暗い。窓も全て開いているのに、部屋の空気も重いというか湿った嫌な空気が漂ってる」
 気だるそうに頭を振るフランチェスカを見て、ソーマも釣られて頭を軽く振る。確かに言われてみると会場内の空気は重く、頭を振るという動作もだるい。そして何より気分が何となく陰鬱なものになっていくのが分かる。
 陰鬱な気分になるのはフランチェスカに言われてからなのだが、その前から何となく暗くなるような雰囲気を感じてはいた。
 今までは視界にも入れていなかった使用人たちの表情などを見てみると、皆一様に何処か陰のある表情で準備をしている。使用人の立場とはいえ、雇い主の娘の誕生を祝う会だと言うのに、誰もそれを喜んで準備しているようには見えなかった。
 普段の使用人たちは皆とても明るく、娘と会話しているときの雰囲気も楽しそうで、嫌がっている様子は全く無かった。実際、雇い主らに対する愚痴を耳にすることは無い。それなのに準備をしているときだけ、緩慢な動きで行っていた。
「……使用人たちも感じてるんスかねぇ。この妙に重く暗い部屋の雰囲気」
「感じているでしょうね。別にこの雰囲気は特殊な人間だけが感じることが出来る、なんてものじゃないもの。まあ、ずっと感じていたくはないけど」
「そりゃあ俺もこの部屋の中にずっといたくはないスよ。このままずーっと居たら、カビか何かが生えちま――姐さん、早く出なきゃ。姐さんがこのまま部屋の中に居続けたら、その綺麗な肌にカビやら何やらが生えちまいますって」
「大声出さないで。周りの人に聞こえるでしょう、誰だってこの部屋にずっと居たくは無いと思っているんだから」
「あ、すいません、姐さん……」
「でも、この部屋の雰囲気はどうにかしないと。どうにかするなんて言っても、原因が一切分からないからどうすることも出来ないけど」
「え、姐さんでも無理なんスか? てっきり、この空気の原因は、あのクソ生意気なチビのせいかと思ってたんスけど」
「リトアがやるわけないでしょう。あの子はマリレーナのことをとても大事に思っているんだから、誕生パーティーを壊すようなことはしないわ。あの子『自身』はね」
 含みのある言い方に引っかかりソーマは眉をひそめる。暫し考えて、リトアが「呪いの首飾り」であることを思い出したとき、フランチェスカが言わんとしている意味を理解した。リトア自身は望みはしないが、「呪いの首飾り」ならばこの雰囲気も納得できる。
 視線を天井へ走らせると、風も無いのにシャンデリアが微かに揺れていた。まるで、この下に立つかもしれないであろう首飾りの所有者を今か今かと待ち構えているようだ。
 今度は窓の方へ視線を走らせる。庭では使用人が飼われている犬たちに餌を与えている。餌の準備が終わるまで待っている犬たちは躾がちゃんと行き届いているのだろう。しかし、パーティー当日に庭へ出たら襲い掛かってくるかもしれないし、会場に乱入してくるかもしれない。もしくは、侵入者が居たとしてもそのまま見逃してしまうかもしれない。
 一度そう考えてしまうと、後から後から不安な要素が溢れ出てきた。窓ガラスも危険であるし、テーブルの上に置かれるであろう燭台も危険である。食器も、壁に掛けられている絵画も、花瓶も、全てが全て危険なものに見えてくる。この危険が依頼主の娘一人だけに向けられるのならばどうでもいいのだが、フランチェスカに向けられるとなれば話は別だ。当日、「呪われた首飾り」を着けるのはフランチェスカであり、マリレーナではない。つまり、今まで挙げた危険の可能性は全てフランチェスカに向かうのだ。
 ――首飾りを着けるのはマリレーナにしましょう。
 そう言えれば一番よいのだが、何故かフランチェスカはこの案件に対して妙に入れ込んでいる。たかが魅魔の一体が進言したとしても、到底受け入れてもらえそうにはない。かと言って、仮にフランチェスカと対等の人間が居たとして、ソーマの意見を言ったとしてもやはり受け入れてはもらえないだろう。
 結局、フランチェスカを止める手立ては無いのだ。
 部屋の重い雰囲気も相まって、ソーマの気持ちは普段よりも一層暗く沈んだものになる。そんな思いも露知らず、フランチェスカはソーマの元から離れてシャンデリアの位置を確認していた。確認しているシャンデリアは、少し前まで微かに揺れていたあのシャンデリアだ。
 それを見た瞬間、目の前に浮かんだ最悪の惨劇に吐き気と嫌気を感じながら、ソーマは脳内から必死にヴィジョンを追いやる。しかし、ヴィジョンは中々消えることはなく、一コマ一コマ浮かび続ける。決して映像では浮かばず、一コマずつ浮かぶ様に自身が絵画の魅魔であることを思い知る。惨劇の中のフランチェスカが人の姿ではなくなった頃、ようやく嫌な光景が消え去った。
 ソーマは自己嫌悪に陥りながら、リトアが感じていた気持ちを少しばかり知ったような気がした。ソーマはまだ一度も経験していないが、リトアは何度も何度もあの光景を見たくも無いのに見ていたのだ。
 気分転換を図るため庭へ出ると、遠くに黒ずくめ姿のよく見知った姿を見つけた。
 ジルドは黙々と渡される大きな木箱を幾つも重ね、絶妙なバランスで屋敷内へ運んでいく。荷物を持ってきた御者たちの驚く様子が遠くからでも見てとれた。
 驚きの種となっている張本人はというと、疲れなど一切見せることなく無表情で淡々と仕事をこなしている。その無表情を見ていると、何も悩みを持っていないように見え、ソーマの中で苛立ちや憎々しい感情が生まれた。
 これ以上嫌な感情を持ち続けていたくはないと考えたソーマは、向きを変えてあの重苦しい雰囲気漂う部屋へ戻ったのだった。

      ◆

 会場内を大体見て回ったフランチェスカは、邪魔にならないよう角へ椅子を持ってくるとある作業を始めた。椅子の上に足を乗せての座り方は、とても行儀の良い座り方ではなかったが、注意する者は誰も居なかった。寧ろ、フランチェスカに対して興味を持つ者自体居なかった。
 フランチェスカの手にはどこから出したのか、紙・ペン・インクが握られており、器用に紙へ何かを書き連ねていく。時々顔を上げ、部屋の中を見渡してはまた紙の方へ顔を向け、何かを書き連ねる。それを何度か繰り返していくと、紙面に部屋の見取り図らしきものが浮かび上がっていった。
 見取り図は上から見下ろした形で描かれていた。そしてその見取り図に色々と矢印を引っ張っては、ドアや窓の位置から、いつ頃に家具や美術品を移動ないし入れ替えたのかなど、部屋に関すること全てを細かく書き込んでいる。
 二十分ほどで完成させた見取り図を改めて見ると、フランチェスカはとあることに気が付いた。話を聞いて回る段階では気が付かなかったのだが、ある出来事を境に部屋の内装をかなり入れ替えていたのだ。
 まず、ある出来事というのは、首飾りを購入して家へ持ち帰った日のことである。フランチェスカはそのことについては驚きを示さなかったが、部屋の内装が変わった段階に驚いていた。
 内装はその日を境にがらりと変えたのではなく、その日を境に「徐々に変わっていった」ことと、「それを変えたことに納得できる理由がちゃんと出来ている」ことだ。例えばシャンデリアについてだとこうだ。シャンデリアを前の物より大きく変えたのは、今からおよそ二月ほど前。変えた理由は、長年使っていて愛着はあるものの老朽化が見られるため、娘の誕生日パーティーを開くのだから、この際新しいものに取り替えよう、ということだった。確かにその理由ならば納得出来る上に、娘のパーティーに「ケチ」をつけてはいけないという気持ちも生まれる。人間の心理を上手く突いている交換だった。
 他にも、中世期に使用されたとされる甲冑も、パーティー会場に置いておくなど血生臭く感じる、という理由で使用人が「滅多に来ない」倉庫へと移動させられていた。その時に壁に飾られていた真剣も全て同じところへ移動した。甲冑は、鉛玉をも通さない、と言われている代物である。
 仮に侵入者がそれを身に着けて会場へ乱入されたら、取り押さえるのに多大な労力を必要とするだろう。
 会場内の飾り付け全てにおいて、侵入者にとって有利になるものや、首飾りの所持者が危険な目に遭うであろう配置になっていた。
 見取り図を見て、フランチェスカは改めて今回の依頼が難易度の高いものだと実感した。

――その上、この呪いは魅魔にまで作用する、か……」

 一人ごちに呟き、ソーマが置いた燭台を「カーテンの側から」離した。カーテンの側といっても、直ぐ側ではなく、「風がなければ燃え移る心配は無いだろうが、カーテンが靡けば確実に燃え移るであろう距離」である。ソーマは絵画の魅魔であるが故に、炎の恐ろしさは十分に知っている。どんなに寒かろうとも、暖炉の側に近づくことがなければ、火の点いた蝋燭にすら距離を置くほどだ。
 徹底して火や炎に関して注意を払うソーマでさえ、燭台の置き方が杜撰になっている。
 フランチェスカの背中に、冷たい汗が流れるのを感じた。
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