呪われた首飾り
 遂に、パーティー当日となった。
 ソーマは緊張を顔に貼り付け、フランチェスカの部屋の前をうろうろとしていた。
 ジルドは裏庭で食材の運び入れを手伝っている。ソーマも手伝うようフランチェスカから言われていたのだが、フランチェスカ自身のことが気になり、珍しく命令を無視したのだ。一人さっさとディナージャケットを着込むと、フランチェスカが着替える部屋の前を見張るかのように居座っているのである。周りは最後の準備とばかりに慌しく使用人たちが働いているが、ソーマの眼中には無かった。
 フランチェスカは今、ジルドが用意した大きい箱の一つ――このために用意したと思われるドレスを身に着けている最中だ。コルセットを必要とするため、部屋の中では数人のメイドらがフランチェスカの着付けを手伝っている。
 この時点ではまだ呪いの首飾り――純白の乙女――は身に着けていない。身に着けていない限り、呪いが降りかかることは無いのだが、それでも万が一ということもある。メイドの中に純白の乙女を狙っている者がいるかもしれない。そう考えると、全く落ち着くことが出来なかった。
 扉の前を行ったり来たりしていたソーマだったが、やがて意を決したかのように目を閉じ、耳の神経に集中し始める。周りの雑音が段々と消え去り、少しずつ布が擦れる音が聞こえ始めた頃、いきなり両足に衝撃を覚え床へ突っ伏してしまった。
 顔面を強かに打ちつけ、ひりひりと痛む顔を手で撫でるように揉む。脚払いを掛けられたことに怒りを感じたソーマは辺りを見回すと、ワンピースドレスに身を包んだ少女がソーマを見下ろしていた。少女の目は怒気と軽蔑を孕んでおり、年不相応の眼つきだ。少女の手に握られていたモップの柄を見て、誰によって脚払いを掛けられたのかを理解した。

「……餓鬼が図に乗ってんじゃねぇよ」
「餓鬼はお前だ。お姉さまを汚すようなことするな」

 少女の可愛らしい声には似合わぬ汚い言葉を吐き、少女――魅魔リトアは忌々しそうに鼻を鳴らした。ソーマとリトアは初めて面と向かって話すのだが、全く反りが合いそうにはない。

「お前がわたくしのことを守って『くださる』ようですが、わたくしには必要ありません。どうか外で犬たちと一緒に見張りをなさっていただけませんこと?」
「俺こそお前のことを守りたくはねぇが、姐さんの頼みだから『仕方なく』守ることになってんだ。餓鬼の指図は受けねぇ」
「お姉さまに守られるならまだしも、たかが二、三十年ほどしか生きてきてねぇお前に、『餓鬼』だなんて呼ばれる筋合いはねぇんだよ。はっきり言うと足手まといだ、屑」

 最後の言葉を吐き捨てると同時にモップの柄が素早く動く。ソーマが反応したときには、既に柄の先は喉仏に押し付けられていた。首を動かそうとすると余計に喉仏が潰され、下手に動かすことは出来ない。痛みで顔が歪むソーマに、リトアは一層強くなった怒気と軽蔑が篭った目で見つめていた。
 どうやらリトアはソーマと同じ、自分が認めたものにだけは心を開くタイプらしく、自分より力のヒエラルキーが下であるソーマには心を開く気配は全く無いらしい。その上ソーマから「餓鬼」と呼ばれたことを侮辱と捉えたため、最早「敵」という認識しか持っていなかった。

「姐さんが今のお前を見たら心底軽蔑するだろうよ。汚い言葉を吐いて、俺にはこんな態度をとって――
「その臭い口を閉じねぇと、喉を潰すぞ」

 ドスを利かせた声でリトアは囁き、モップを持つ手の力を強める。しかし、フランチェスカが居る部屋の扉が開く音を聞いた瞬間、手に持ったモップを遠くへ投げ捨てると、愛らしい笑みを浮かべ扉の方へ向き直っていた。その変わり身の早さに、ソーマは立ち上がるのも忘れ呆然と見るしかなかった。
 部屋から出たフランチェスカは深い臙脂のイブニングドレスに身を包んでいた。普段は常に薄着のフランチェスカからは、想像もつかないほどの淑女へと変貌している。
 サテン生地を主にして作られたドレスは、フランチェスカが動くたびに臙脂が真紅、朱色へと鮮やかに変色していく。様々な「赤色」へ移ろいゆく様は、未だフランチェスカを捉えることが出来ていないソーマにとって、フランチェスカそのものを示すかのように感じられた。髪型は琥珀の髪留めを使って緩くカールした髪をアップにしているため、日ごろ見慣れているポニーテールと大差は無いのだが、髪の隙間から見える項がとても色香を醸し出していた。服装がいつもと違うと、ほぼ同じ髪型でも雰囲気はガラリと変わるらしい。
 本来ならば、髪飾りはもっと多量に使用してるのが普通なのだが、どうやらフランチェスカがそれを拒否したようだ。しかしながら、琥珀の髪留めはフランチェスカの赤茶の髪に負けじと存在感を出していた。
 イブニングドレスらしく大きく開かれた胸に視線を送っていたソーマだったが、胸元に輝く赤い石を見て顔を一瞬にして青くさせた。リトアは既に身に着けていたことを知っていたらしく、表情を歪ませている。フランチェスカの胸元で持ち主を引き立たせるように輝く「自身」を誇らしくも感じるが、不安や恐怖感の方が勝っていたのだ。

――クレプスキュール、ちゃんと身に着けているわね」
「……ええ、お姉さまの言うとおりに……似合うかどうかは分かりませんけど……」
「とても似合っているわ、自信を持ちなさい」
「姐さん……もう、着けたんスか」
「ええ、もうすぐフェ――いえ、パーティーが始まるわ。いい、ソーマ。もう、幕は既に上がっているのよ。惨劇最終幕という舞台の、ね」

 普段は発言しそうにはない言葉を、断言した口調で言い切ったフランチェスカは、二人に背を向けると会場へと歩き始める。既に呪いの効果が起こっていることを嫌と言うほど知っているリトアは、フランチェスカを引き止めようと右手を伸ばす。その様子をただ見つめていたソーマだったが、視界の端、窓の外で何か動くものを見たような気がした。刹那、嫌な予感とフランチェスカの命令である依頼主の娘マリレーナを守ることを思い出し、マリレーナの左腕を掴み、引き寄せ床に伏せる。
 ソーマの突然の行動に驚いたリトアは、覆いかぶさってきた男に罵声を上げようと口を開いた瞬間、大きな音とともに幾つもの破片になった窓ガラスがリトアとフランチェスカの間に舞い込んでいた。窓の直ぐ近くには、つい今しがた折れたばかりであろう巨樹の枝が落ちている。
 ソーマが視界の端で捕らえたのは、折れた枝が窓に向かって飛んできているところだったようだ。
 フランチェスカに怪我はないか、とソーマは視線を向けると、普段と変わらぬ表情で窓を見ていた。辺りに血が滴り落ちている様子はない。どうやらガラスの破片を被ってはいないことを知ったソーマは、安堵した表情で息を吐いた。
 そんなソーマとは対照的に、リトアの呼吸はひどく浅いものになっていた。もしも、フランチェスカが少し遅く歩き始めていたら。もしも、ソーマが少しでも反応が遅かったら。今頃女性と少女はガラスという装身具を全身に施し、呪いの首飾りとガラスを自身の血で真っ赤に染め上げていたことだろう。そして、呪いの首飾りは更に強力なものとなり、いつかは身に着けずとも効果を発揮させるかもしれない。魅魔の力と比例して、呪いは強大なものになっていく。その恐怖にリトアは恐れおののいていたのだ。
 周りでは割れた窓ガラスを処理したり、三人に怪我が無いかを確認している。フランチェスカは全く動揺した様子もなく、使用人たちの質問に答えていた。しかし、リトアとソーマの二人は使用人のことなぞ認識できないほど酷く狼狽していた。
 ソーマは呪いが既に始まっていることに驚いていたのだが、リトアは違うことで驚いていた。誰しも見慣れたくないものだが、リトアは呪いが何時頃始まるのか、呪いの末路がどうなるのかを知っている。末路を知っているからこそ、今回の呪いには狼狽せざるをえなかった。
 会場へ向かうフランチェスカを見たリトアは、絨毯がきらめく箇所を避けながら走りよる。小さい声ながらも自分の名前を聞き取ったフランチェスカは歩みを止め振り返った。そのとき、ダイアが艶かしく光ったような気がしたがリトアは無視した。

「お姉さま、どうか、どうかお気をつけください。いつものときより、呪いがつよくなっておりますわ」
――でしょうね。私の思考も、普段とは少し違うわ」
「それだけじゃありませんわ。それだけじゃなくて……その、呪いの力が他の人にまで『さよう』されてますの」
「……他の人にまで?」
「ええ。いつもだったら、ひがいを受けるのはもち主だけ。つまり、お姉さまとマリレーナだけですわ。でも、さっきのガラスはわたくしたちだけでなく、あの屑――失礼、あの男にまでさようしてました。あの馬鹿――失礼、あの男は自分はガラスが割れたはんい外などと考えているみたいですけれど、だから」
「分かったわ。あなたの言いたいことは分かった。だから、落ち着きなさい。あなたが、不安定になればなるほど、あなた自身の力、ひいては呪いの力が強くなる。呪いを、もう起こしたくないのなら、あなた自身も変わらなきゃならないの。自分の力を調節して、自分の力を、完全に、自分のものにしなさい。私はあくまで、補助すること、と切欠を起こすこと、しか出来ないの。いい? 手綱を握っているのは、あなたよ。『呪い』が、あなたの、手綱を握っているわけじゃないの」

 段々早口言葉になるリトアの言葉を止め、フランチェスカはところどころ区切りながら話をした。区切った一語一語を強く発言し、リトアに言い聞かせるためか酷くゆっくりとした話し方だった。
 フランチェスカの言う通り、呪いの力はリトア自身の力に直結している。リトアが力を調節し押さえ込めば込むほど、呪いの力もまた弱まってゆく。しかし、不安定になればなるほど力は全開、暴走していきその結果、呪いの力もまた強くそして範囲も広がっていく。今までの被害が所有者本人だけだったのは、リトアが呪いを拒絶し、自身をも拒絶したため力がやや抑えられていただけだった。しかし、完全に抑えられていたわけではないので、所有者のみ死亡してしまう状態だった。
 フランチェスカの言葉を受けて、リトアは軽く目を瞑る。今、身体の持ち主であるマリレーナは眠っている。きっと、自分の誕生日をとても楽しく過ごしている夢だろう。自分の首飾りで、この子を永遠の眠りにつかせたくはない。かと言って、今目の前に居る自分の運命を変えてくれるであろう女神の紅い目が、永遠に開くことの無い状態にしたくもない。出来るのならば、どちらもずっと幸せに生きて、笑顔で居続けて欲しい。そう願うことがリトアに課せられた役目なのだ。
 ゆっくりと目を開き、フランチェスカと目を合わす。その目にはもう迷いや狼狽は綺麗に消え去っていた。
 リトアはスカートの両端を少し摘んで持ち上げ、しっかりとした一礼をした後、振り返ることなく会場へと向かった。その後ろを慌ててソーマが追いかけていく。
 遠ざかっていく二つの背中を見送ったフランチェスカは、ドレスに作られたポケットから小瓶を取り出した。小瓶の中身はリトアに見せたものと同じもので、中身が前に見せたときよりも更に少し減っている。だが、外見は少々変化しており、栓にあった紙の封が数枚増えていた。新しく増えている紙には全て、何かの文字が細かく書かれている。

「……母の記録にあったものだけど……この呪い(まじない)がどうか効いてますように」

 そう小さく呟き小瓶にキスをすると、フランチェスカは小瓶をポケットに戻して会場へと向かった。
 使用人たちも居なくなった廊下から見える窓の外では、暗雲が徐々に広がりつつあった。
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