呪われた首飾り
 娘の誕生日を祝うパーティーの雰囲気は何処か重々しい空気に包まれたものだった。招待客たちは笑顔で依頼主らに挨拶を交わしたりしているのだが、その笑顔もどことなく影が差す。場の雰囲気を盛り上げようと、オーケストラによって明るい曲を流してもらうものの、雰囲気が明るくなる気配はない。
 全く異質な空気を少女(リトア)は感じ取りながら、表向きにはパーティーの主役となっている人物へ視線を向ける。視線の先にいる女性は微笑みながら周囲の人間に軽い会釈をしていた。父親は他の客人と会話をしているらしく、女性の周りに見知った人間は誰一人としていない。その様子に若干違和感を感じながらも、少女は女性に近づこうとはしなかった。
 リトアの中で、女性から言われた『パーティーが終わるまで自分には近づくな』という言葉が鎖のように縛り付けられていたのだ。たとえそれが本能的に拒絶したいほどの男と一緒に居させられたとしても、リトアの中でその言葉は絶対であり、神の言葉に等しいものであった。
 本能的に拒絶したいほどの男と思われている人物――ソーマは、渡された酒には一切口を付けることなく、リトアと適度な距離を保ちながら自分の主である女性を見つめていた。女性からおよそ6.5フィート(2メートル)ほど離れた壁付近には、いつもの黒ずくめとは違ってディナージャケットを身に纏った色白の男が直立不動の状態で女性を見ているのだが、それだけではソーマは安心することができなかった。色白の男――ジルドを信頼すべき人物として認めていないため、自分の目でしっかり確認していないと気が済まない状態になっていた。
 ソーマと同じく気が済まない状態になっているリトアも、来賓の会話もそこそこに、仮初の主役である女性に度々視線を送っている。できることならばずっと見ていたいが、首飾りの本当の持ち主でもある少女の肉体を借りている状態のため、不用意に近づくことはできない。女性に何もできない歯痒さを心でかみ殺しつつ、危険に脅(おびや)かされないよう周りにも注意を向ける。ソーマのことを信用も信頼も全くしていないため、少女の肉体は自分で守ることに決めているようだ。
 貴族が開く娘の誕生パーティーのせいか、会場は使用人を含め客人がとても多く、どこに不審人物が紛れ込んでいてもおかしくない状況だった。本来ならば、紛れ込まないように警備の人間を紛れ込ませているのだが、リトアの目から見るとどことなく頼り気がない存在に見えていた。今までの持ち主たちがどのように死んだかをしっかりと見ているリトアにとって、どんなに屈強な守衛がいたとしても安心はできないと考えている。どれだけの人数で守られていようと、どれだけ厳重な守備をした部屋に篭ったとしても、呪いが起きてしまえば人はあっけなく死んでしまう。そのため疑心の塊に近い状態で自衛を心がけていた。



「……おかしいですわ」

 リトアが険しい表情で呟いたのはパーティーが中盤に差し掛かったところだった。
 呟きを聞いたソーマは視線を女性から自分とリトア周辺へ動かしたが、辺りに変わった様子は特にない。パーティー序盤と変わらず、妙な重々しい空気のままであり、客人らにも変わった様子はなくどこか暗い影が表情にかかっている。
 窓の外に視線をやると、外は暗雲によって非常に暗い状態になり、激しい雨とともに季節はずれの稲妻が空を切り裂いていた。
 特に変わったものは見当たらず、視線を女性から逸らされる形になったソーマは一気に苛立ちの表情へ変えると、リトアに呟き返した。

「……特に変化がねえじゃねーか、餓鬼」
「餓鬼は貴様ですわ。――お姉さまの周辺、よく見てみろ」
「あ? 姐さんのところも特に変わってねえじゃねーか」
「てめえの目は節穴か屑。お姉さまの周りをよく見ろ」

 リトアの視線が女性の方へ見るよう促すかのような動きをみたソーマは、命令される苛立ちを隠すことなく、しかし不自然な動きにはならないよう視線だけを女性の周辺に向けた。女性の周辺には、女性に挨拶をする客人らが数人おり、口数は少ないものの会話を交わしている。特に異変などがあるようには見えないが、更に見るべき範囲を広げてみるとあることに気がついた。ソーマの表情が狼狽へと変化したのを確認したリトアは、小さく鼻を鳴らした。
 女性の周辺には女性専門のガードが四名配置されているのだが、数えてみると二名に減っている。会場内を軽く見渡してみるが、ガードの姿は全く見えない。ジルドがいる壁付近へ視線を向けると、パーティーの初めに見たときと同じ直立不動のまま女性に視線を送っていた。その様子を見るに、ガードのことなどは一切眼中にはないようだった。
 命令に忠実すぎる男へ心の中で呪いながらソーマは女性へ歩を進める。だが、二歩ほど歩いたところでリトアに足を踏まれた。手加減無用の一撃に薄っすらと涙を浮かべながらリトアを睨んだが、リトアは真正面から睨み返し小さく首を横に振る。小さな両の手が強く握り締められているのにソーマは気づくと、己も唇を噛み締める。
 リトアも自分の感情のままに行動がとれるならば、女性のすぐ近くにまで走りよりパーティーが終わるまで離れずに居たかったのだ。
 だが、女性からその行動をとることは許されていない。仮に許されていたとしても、可愛らしいワンピースドレスに身を包んだ肉体はリトア本人のものではない。宿主である少女の肉体にかすり傷ひとつでもつけたら全てを無に返すことになるのだ。女性が依頼主に許可を得るための説得も、パーティー会場で異変が起きないよう物や人物の細かい配置確認なども全てが泡となる。それだけは決して避けなければならない。少女の気持ちが痛いほど分かり、ソーマは元の位置へ戻る。
 二人にできることは、女性の言うとおりに動くことと、何も起こらないよう祈ることの二つだけであった。
 しかし、その祈りも無駄に終わったらしい。
 耳をつんざくような雷鳴に紛れ、ガラスが割れるような音がソーマとリトアの耳に届いた。
 瞬時にソーマはリトアのすぐ傍へ近寄り、女性から言われた通り辺りを注意深く警戒する。リトアも少女の肉体を傷つけたくないため、罵詈雑言を一つも吐かずソーマと背中合わせになり、周囲の客人で不自然な行動を取ろうとしている者が居ないか確認する。二人の配置上、リトアの方が女性をすぐに確認できる位置に居るため、客人の確認をしながらも視線は頻繁に女性の方へ向けていた。
 女性はガラスが割れるような音を聞いていないのか依頼主と会話をしている。異変が起こってしまったことに気づいていない女性に対し、リトアは焦りと不安に掻き立てられたが、色白の男が女性へ近づいていくのを見つけとりあえず安堵する。自身で女性を護れないのは歯痒いが、自分の後ろに居る男よりはかなり力が強いとリトアは認めていた。
 リトアが自分の後ろにちゃんと居ることを視界の端で確認したソーマは、右端から順番に窓を視認していく。女性から聞いた話を振り返れば、最初の事件と非常に酷似している今回の場合、外部から招かれざる客が現れる確率が高い。それならば周囲の客人に注意を払うよりも、窓や会場の入り口に注意を払ったほうが良い、とソーマはにらんだのだ。
 どの入り口から招かれざる客は現れるのか。見落としがないよう窓の外へ目を凝らした矢先、絹を裂くような悲鳴が会場内に響き渡った。ソーマは悲鳴が聞こえた方向、会場入り口から最も離れた窓に視線を向けると、その周囲に人垣と奇妙な空間が出来上がっている。空間に何があるのかを確認したいソーマであったが、人垣が邪魔で何も見ることができない。焦るソーマをよそに人垣は少しずつ空間を広げていき、空間の中心で何かが煌くと同時に人垣は悲鳴や罵声を上げながら会場入り口へ走り始めた。その人垣の様子と煌いた正体を見た客人らもパニックを起こしながら入り口へと走る。パニックは猛スピードで伝わっていき、我先にと衆人が詰め寄った入り口は完全に詰まっていた。
 口々に何かを叫びながらこちらへ向かってくる衆人に、ソーマはリトアが人の波に攫われないよう素早く抱き上げ女性のもとへ行こうとしたが、女性たちがすでにこちらへ向かって走っているのを見てその場に留まる。

「ソーマ、今すぐその子を連れて逃げなさい。刃物を持った男が侵入したわ」

 二人のもとへ辿り着いた女性は会場入り口近くの窓を指しながら言った。身体が濡れるという本能的な恐怖が出たソーマは逡巡する。その僅かな隙が命取りだった。赤い液体に染まった剣を持つ男が逃げようとしない五人を見つけてしまったのだ。
 男は奇声を上げながら五人のもとへ向かう。いち早くそれを確認した見たジルドによって、ソーマは強く突き飛ばされた。不意をつかれた形での突き飛ばしにより受身を取ることができず、背中からテーブルに突っ込む。テーブルはいとも簡単に崩壊し、料理が辺りに散乱する。痛みに堪えながら上体を起こすと、つい先ほどまで居た空間を男が剣を振り回しながら横切っていった。
 女性は無事なのか。不安に駆られたソーマは三人がいた付近を見やると、女性は仰向けで床に転がっていた。身じろぎをした女性の腰に色白の手が添えられているのを見つけ、一瞬ソーマの頭に血が上る。しかしその手が女性を助けたことも事実なため、今回に限り黙殺する。

「ソーマ、リトア!」
「なんとか、ぶじっス……」
「お姉さま!」

 女性に名前を呼ばれ、ソーマは弱弱しく返事をし、リトアは半ば悲鳴のように声を上げた。ソーマが思っていたよりも身体への衝撃は大きかったらしく、リトアのように大きな声を出すことはできなかった。
 膝を震わせながらなんとか立ち上がり、リトアを抱き上げなおすと女性らのもとへ走りよる。ジルドはすでに立ち上がっており、女性と依頼主は腰の辺りをさすりながら立ち上がろうとしているところだった。

「姐さん――
「私は平気よ。現状は全く平気じゃないけど」
「姐さん、すみません! 俺が逃げるのをためらったばっかりに――
「謝るのは後にして。あんたはこの子と一緒に私の後ろに居なさい。そして隙を見て依頼主と一緒に逃げて」
「姐さんは? 姐さんはどうするんスか!?」
「私が逃げるわけにはいかないわ。ジルドが一緒に居るから――
「フランチェスカ様!」

 ジルドの声とほぼ同時に鋭い金属音が響き渡る。
 ソーマが振り返ると、いつの間に移動したのかジルドが右腕で男からの攻撃を受け止めていた。刃と肌が触れている箇所で金属がこすれ合う音が聞こえる。金属製か鉱石製の壷がジルドの本体であることをソーマは思い出し、肉体の形状ではなく性状を変えられることに驚きを隠せなかった。
 腕で止められたことに驚いたらしい男は目を見開き奇声を上げ剣を振り回す。危険を感じたソーマは離れようと思うものの、足が竦んで全く動かない。少女だけでも逃がそうと腕を動かそうとするが、極度の緊張状態になった筋肉は石のように硬く強張っている。見かねたフランチェスカが少女を無理やり抱きかかえようとしたところで、呪縛が解けたかのように足を動かすことができた。
 フランチェスカから言われたとおり、ソーマは依頼主と少女を連れて逃げようとしたとき、左腕に焼けるような鋭い痛みを覚えた。痛みを感じた箇所を見ると服が裂けている。訳が分からずジルドと男が居るほうを見ると、男は狂気に満ちた笑みを顔に貼り付け、細身のナイフを左手に所持していた。ジルドへ切りかかったときは両手で持っていた重そうな剣は右手だけで持っている。男の腰をよく見ると、鞘に収まった幾振りものナイフがコートの中で見え隠れしながらぶら下がっていて、そのうち二つだけ空の鞘がある。どうやら一振り目をソーマらに向けて投げ、二振り目を投げようとしているところのようだ。
 依頼主と少女に怪我を負わせるわけにはいかない。男がナイフを投げようと振りかぶる姿を見て、ソーマはとっさに少女を依頼主の隣におろすと、投げられようとしているナイフが刺さらないよう二人の上から覆いかぶさった。
 だが、ナイフが投げられたような風を切る音は聞こえず、代わりに床へ硬いものが叩きつけられたような音が聞こえた。疑問を感じ二人に覆いかぶさったままソーマは首を向けると、どうやらフランチェスカが壊れたテーブルの足で叩き落したらしい。
 男の殺意を孕んだ眼がジルドからフランチェスカへと動く。ソーマがフランチェスカの元へ行くよりも早く、彼女の身体が宙に浮きソーマらの横に転がった。腹部を押さえて呻くフランチェスカの声を聞き、ジルドが隣へ駆け寄る。命令を忘れソーマも行こうとしたとき、

「お前がいなければ! お前さえいなければ!」

 と、憎悪を孕んだ声が背後から聞こえた。慌てて振り返ると、男が剣を振りかぶりながらこちらへ走ってくる。顔を赤黒くさせながら向かってくる男の眼は常軌を逸しており、制止の声をかけたとしても聞こえそうにはない。依頼主と少女に覆いかぶさり覚悟を決めたとき、先ほども聞いた鋭い金属音が響いた。振り返るとジルドがまたも腕で殺意の篭った剣を受け止めていた。

「お前も俺の邪魔をするのか! どいつもこいつも俺の邪魔ばかりしやがって!」
「フランチェスカ様と依頼主を傷つけようとするものは排除する」
「排除排除排除排除排除! 気に入らないものは全て排除するのか! 分かったよ! お前ら全員殺して俺の前から排除してやるよ!」
「排除する前にその剣が折れる。もって後二回だ」

 言葉の直後、ピシリ、という音が聞こえた。無茶くちゃな振り方のせいか、剣にひびが入っていた。しかし、仮に剣が折れたとしても、男にはまだナイフが大量にある。男も同じ考えにあるのか、ジルドの指摘を受けても焦る風もなく、殺意と憎悪が篭められた眼で彼を睨みつけていた。
 憤怒だけで人間の眼はこれほどの狂気を宿すのか、ソーマは男の眼から視線を外すことができなくなっていた。三十数年生きてきた中で、異常とも言えるほどの憎悪や狂気を目の当たりにしたことがなかった。己がやるべきことは男の眼を観察することではなく依頼主と少女を護ること、そうだと分かっていても血走っている男の眼から視線を外すことができなかったのだ。
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